重願寺の夜泣き石
重願寺の夜泣き石
今からおよそ400年前、天下人・豊臣秀吉に盾ついた関白・近衛前久は、その職を解かれ薩摩へと流されることになりました。憤懣やる方ならぬ近衛前久は、その道中、憂さ晴らしにと枚岡神社に詣で、長尾の滝を見物にと参りました。
案内人は土地の豪族・ 高内正定。
その案内で額田谷の入口にある「長尾山不動寺」へも詣られました。
明治6年に廃寺となるまでは、現在の「重願寺」 の場所にあったそうです。
その 「不動寺」で近衛前久は、このあたりに生い茂っていたすすきの原を愛でて、
「枯れのこる 長尾のおかのすすき原 霜もしらけて いとどさむけき」 と一句、詠まれました。
時代は下り江戸時代の半ば、
高内正定の子孫・高内秀有は、さきの句を、寺に滞在していた慈雲尊者に一筆乞い、大きな石の岩面に刻んで 「不動寺」の境内に建立しました。
のちに寺が廃されたとき、この石碑も他所に移されました。
すると毎晩、この石が「もとへ帰りたい」と泣いたので、哀れを感じた村人が元の場所へと戻したところ泣きやんだということです。
日付 | 2019-06-08 |
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