暗がり峠の忠犬シロの碑

暗がり峠の忠犬シロの碑

暗がり峠への道を、天保六年(1835年)八月の半ば、一人の男と一匹の犬が汗をかきかき上っていました。

男の名は、大坂の商人・和泉屋弥四郎、伴に連れたるは愛犬の皓(シロ)。

和泉屋弥四郎またの名を「あかつきかねなり」と言い、醤油問屋を営むかたわら文筆や絵筆に長けて「摂津名所図会」などの作品をのこし、自宅で鹿を飼ってみたりしたほどの動物好きの人物です。

その弥四郎、奈良にどうしても行かなければならない用事があって、昼なお薄暗いくらがり峠への道を、しかもあろうことか夕暮れ時にシロと一緒に上っていたのです。


日が落ちて、提灯を下げているとはいえ一町先も見渡せない山道をとぼとぼ歩くのは心細いものです。

「なあ、シロや。 えらい時刻になってしもうたなぁ、奈良まであとどのくらいあるもんやろか?」

「ワン」

「ああ怖、いっこも前が見えへんよって心細うなるわ」

「ワン、ワン、ワン!」

「なんや、どないしてん」

暗闇の奥で二つの怪しい眼が光りました。

「ワン、ワン、ワン!ワン、ワン、ワン!!!」

またしても、はげしく吠えるシロ。

闇の中から、毛皮に山袴・蓬髪(ほうはつ)の男が、山刀をもって姿を現わしました。

「山賊や!」

いきなり男は、弥四郎に切り付けてきました。

その時です!

シロは、猛然と吠え立て、山賊に向かって飛び掛ってゆきました。

刀を持った男の手をがぶりと噛みつき、引っ張りまわします。

山刀で切り裂かれ満身創痍(まんしんそうい)になりながらも主人・弥四郎をかばって戦います。

凄惨な死闘の末、シロは、山賊の喉笛に喰らいつき斃(たお)しました、が、シロもその場に倒れ伏しました。

「シロや!」

弥四郎は、倒れているシロを抱きかかえましたが、シロは主人の無事を見届けると安心したのか、ぐったりとして息を引き取りました。

その夜の暗がり峠には、弥四郎の嗚咽(おえつ)がずっとこだましていたのです。

弥四郎は、シロを不憫(ふびん)に思い、峠の中腹の旅籠(はたご)の前に、供養の石碑をたてて弔いました。

旅籠は現在、豊浦の勧成院(かんじょういん)と言うお寺となり、その前にシロの石碑は残されています。

石碑の前面には、シロであろうと思われる犬の石像が座っています。

そして弥四郎こと「暁鐘成」は、「この世に生を受けたものはみな兄弟、ましてや供にくらし、なつき従う犬はなおさらのこと、世の人々がこの本に学び、このものらを慈しみ大切にしてくれたらこんなに喜ばしいことはない」と今に伝わる日本最初のペットの飼い方の本「犬飼養畜伝」を著しました。







日付2019-06-07
カテゴリー観光情報 歴史・文化 
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