忘れられた大寺院・河内寺

忘れられた大寺院・河内寺

7世紀、ヤマト朝廷は朝鮮半島に出兵、白村江にて新羅・唐連合軍と大海戦におよびました。

結果は目も当てられぬ大敗北、天智天皇は、急きょ新羅・唐の侵攻に備え、ヤマトの防衛体制を整えます。

城を築き、防人を配し、そしてヤマトではなく、国号を正式に「日本」と定めました。

国家存亡の危機を迎え、あえて強く国威を掲げたのです、そしてその国号を唐に知らせに行く大任を、「河内氏」が任されたのです。

その功でもって、天武天皇の時代、「河内氏」は、河内郡の大領に任命され、「河内寺」を創建しました。



最新の四天王寺様式で建立され、北から南に一直線に講堂・金堂・塔・中門が並び、四天王寺の三分の二にもおよぶ大伽藍だったそうです。

客坊町の名前自体が、「河内寺」の百の宿坊がなまって、客坊と呼ばれるようになったというほどです。

ところが、鎌倉時代末期、山麓を流れ下る土石流に飲み込まれ、その姿を消してしまいました。



昭和の発掘調査まで忘れられていて、最近、史跡公園として整備されました。

おもしろいのは公園のあちこちにたてられた看板にQRコードが付いてあって、それをスマホで読み取ると当時のお寺のパーチャル体験が出来るのですよ。







日付2019-06-08
カテゴリー観光情報 歴史・文化 公園情報
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