瓢箪山稲荷の太閤橋
瓢箪山稲荷の太閤橋
「松永弾正」がまだ士官の道を求め、妻と二人で各地を浪々としていたころ・・・・ある年の大晦日、妻が急な病で、路銀も使い果たし困ったあげく、神だのみと信貴山に参籠した帰り道のこと、日が落ちて真っ暗な東高野街道を、急いでいたものの、明りの松明の火すら消えてしまいました。
火種も持っていないので、闇の中をひたすら歩いていて、四条の村に入ったころ、先方・東側に火の手が!
さっそくあの火を貰わんものと近づいてみるに、これはいかに、死者を弔う三昧の火ではないか・・・
やむなく自分の松明に火をうつし、ふと、傍らを見ると、瓢箪型の塚の前を流れる小川に架かった木橋のそばの卒塔婆の前に山と盛られた供養の餅。
「わしには元旦を祝う餅もない、あの餅をこのままにしておけばキツネの餌になるだけじゃ、これを持ち帰ったところで、だれも咎めるものは無し、後日、大功をたてた暁に何倍かにして返せばよいではないか。」と、その餅をみな持ち帰りました。
後日出世した「松永弾正」は、木橋を石橋に架けかえさせ、「大功橋」と命名しました。
「大功橋」とは今の「太閤橋」、「瓢箪山稲荷神社」の参道の入り口にかかる石橋です。
日付 | 2019-06-07 |
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